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ビングラジオ最終回原稿

  生成AIを利用して原稿を作成した架空のラジオ番組「 ビングラジオ 」の最終回の原稿です。この原稿は生成AIを使わず、YouTubeチャンネルのオーナーである私「ひとりネズミ」が作成したものです。 原稿 オープニング おはようございます。ビングラジオが始まりました。パーソナリティのめたんです。2025年3月30日、第105回目の放送です。みなさん、いかがお過ごしでしょうか? この番組は今日が最終回です。全てのコーナーは前回で終わりました。今回はこの番組のオーナーからの手紙を読みたいと思います。CMの後、読み始めます。 それでは、CMです。 ビングラジオを始めたきっかけ この番組を聴いていただき、ありがとうございます。この番組、このYouTubeチャンネルのオーナーであるひとりネズミです。 まずはこの番組を始めたきっかけについてです。 Microsoftの生成AI「bing」が登場した後、ラジオ番組に送るメッセージをbingに作らせてみました。番組名やパーソナリティ名が分かっていましたし、メッセージテーマが与えられていましたので、その情報を元に作らせてみました。実際に番組に投稿することはありませんでしたが、意外に良いメッセージが作られました。ただ、実際に投稿しても、お便りがたくさん届くような人気のラジオ番組で採用されるほどの質ではありませんでした。 bingの性能を試す目的で、聴いていたラジオ番組でメッセージテーマが与えられるたびにメッセージを作らせていたのですが、文章を作らせるためのプロンプトの一部を省略した時に、リスナーからのメッセージだけでなく、それに対するラジオパーソナリティの応答原稿まで作られました。それは私が求めていたものではなかったのですが、ラジオ番組の原稿そのものをbingに作らせることが可能ではないかと思いました。それで作らせてみることにしました。 VOICEVOXに読ませて、自分が作った原稿も混ぜる ラジオ番組の原稿ができたとしても、自分で読む気はありませんでした。自分の声に自信がないことが理由です。既にVOICEVOXは使っていましたし、YouTubeのチャンネルも持っていましたから、bingが作ったラジオ番組の原稿をVOICEVOXに読ませて、録音して、YouTubeにアップロードしました。 意外に手間がかかりました。bingを使わず...

パーソナリティになりたくないアシスタントの気持ちを考えてみた

  AはパーソナリティPのラジオ番組Rのアシスタントである。Aが出演できない日、RはPだけで放送された。Pが出演できない日、Rは休みで、Aだけで放送されることはなかった。RのリスナーLはAがパーソナリティになって放送すれば良いのにと思った。  この場合、Aの気持ちはどうなのだろうかと考えました。Pがいなくても、Lが思った通り、自分がパーソナリティとして放送したかったのか。それとも、自分はアシスタントとして仕事をしたいのか。  ラジオの業界では、数々の有名番組のアシスタントを務めて尊敬されている人がいるようです。その人はパーソナリティになりたいわけではなく、アシスタントとしての仕事に誇りを感じているのかもしれません。その気持ちは分かります。どの世界でもリーダーになりたいとは思わず、重要な仕事の役に立つことに喜びを感じる人がいて、そのような人たちのおかげで、数々の仕事が成り立っているのだと思います。  ただ、冒頭のAの気持ちには別の側面があるような気もするのです。  ラジオ番組は聴いてもらえなければ意味がありません。では、どのような番組だったら聴かれるのでしょうか。私が長年考え続けていることです。番組が面白いことが聴く条件ではあるのですが、面白いかどうかは人それぞれで、誰もが面白いと思える番組を作るのは難しいです。私の場合は、聴く番組はパーソナリティで選んでいます。パーソナリティが好きだから、パーソナリティに興味があるから、パーソナリティの話が自分にとってプラスになると思うから、そんな基準で聴く番組を選んでいます。ですから、自然に有名人がパーソナリティの番組ばかり聴いているような気がします。  それを踏まえてAの気持ちを想像してみます。パーソナリティとして実績があり有名なPがパーソナリティの番組なら聴いてもらえるけれど、実績が乏しく知名度も低いAがパーソナリティの番組は聴いてもらえるでしょうか。Aは聴いてもらえないと思うでしょう。冒頭の例はPが休みの日の話でしたが、RからPが降りてAがパーソナリティの番組になったら、Rはどうなるでしょう。おそらく、聴く人が減り、番組はすぐに終了するでしょう。Aは仕事を失うことになります。Pがパーソナリティの番組のアシスタントのままだったら、番組が終了せずに、仕事を失う恐れは減ります。そうであれば、Aはパーソナリティをやりたくない...

惰性で聞かれる番組でも良いのかもしれない

 3月になって、番組改編の時期らしく、私が聴いていたラジオ番組もいくつか終わってしまいます。面白くて人気があると思っていた番組も終わってしまいます。放送局はもっと面白い番組や役立つ番組にすれば良いと思っているのかもしれません。でも、終わってしまう番組よりも面白い番組が始まっても、役立つ番組が始まっても、これまでのリスナーは離れていくような気がします。元の番組のパーソナリティのファンは去るでしょうし、私のように惰性で聴いていたサイレントリスナーも番組が終わったのをきっかけに同じ時間の番組を聞くのをやめそうです。去ったリスナーよりも新しいリスナーの方が多ければ番組改編は成功でしょうが、期待しない方が良いかもしれません。そもそもラジオのリスナーが少ないのですから。  番組改編をきっかけにラジオ番組を聴く理由について思うことがありました。聴く理由は人それぞれでしょう。パーソナリティが自分に向かって話しかけているような気がする人、他のリスナーが仲間のような気がする人、番組にメッセージを送って読まれることが嬉しい人、読まれなくても読まれるためにメッセージを送り続けることが楽しい人、番組のコーナーが面白くて聞いている人、パーソナリティのトークが面白くて聞いている人、パーソナリティの性格や声が魅力的だから聴いている人、パーソナリティがラジオ以外で活躍していてファンだから聴いている人、いろいろな人がいると思います。サイレントリスナーの私はパーソナリティのことが気になるから聴いているような気がします。ただし、パーソナリティのことが嫌いになると聴きませんが…。  そんな私は「面白い」と思ってない番組でも聴いています。聴きながらパソコンでの作業ができるので時間の無駄だとは思いませんが、聴くことに何のメリットがなくても聴いています。だから、番組改編で番組が聴けなくなっても、何も困りません。でも、終わってしまうのが寂しい気持ちもあります。番組にメッセージを送ったことはないし、パーソナリティとの交流もないし、パーソナリティやリスナーと繋がっていたような意識もないのに寂しいのです。この寂しさについて考えていたら、もしかしたら、これがラジオ番組を聴き続けている理由なんじゃないかと思いました。  以前、ラジオ番組のパーソナリティに番組を聴いている理由を尋ねられた時に「惰性」と答えました。そのパーソナリ...

リスナーのいないラジオ番組のパーソナリティの気持ちが少し分かりました

 最近の私はラジオ番組のような音声だけのYouTube動画をアップロードしています。背景は真っ黒で、動画の主旨のようなものとコーナー名と字幕が表示されるだけの15分~21分の動画です。2023年の4月に始めて、毎週日曜日の午前8時に公開されるように設定して、2023/10/8で28回になりました。  Youtubeの管理画面では再生数の他に、どの程度再生されたか分かるのですが、最初から最後まで聴いてくれた人は一人か二人だけです。それも、一度聴いただけで、その後にアップロードした動画も聞いてくれた人、リピーターになってくれた人は一人もいません。チャンネル登録した人が一人いるのですが、その人が聴きに来てくれた気配はありません。しかも、チャンネル登録された時にマイナス評価が一度クリックされたようで、たぶん、チャンネル登録したのはアップロードの度にマイナス評価をクリックする嫌がらせのためだったのでしょう。でも、それも行われていないようです。要するに、全くの無関心という状態になっています。  一週間に一回のペースで作成しているのですが、コーナーごとに原稿を作成して、それらの原稿をVOICEVOXという 音声合成ソフトウェアの 「四国めたん」に読ませて、イントネーションなどを修正して、録音して、各コーナーの音声を組み合わせて一つの動画にして、YouTubeにアップロードした後に手動で字幕を付けるという流れです。時間がかかるので、他のことで忙しい週は徹夜したこともあります。  そこまでしてラジオ番組のようなものを作っているのですが、ちゃんと聴いている人が一人もいない状態です。再生数が二桁のことが多いのですが、ほとんどの人は最初の30秒くらいを聞いたら、閉じてしまいます。もっと短い再生時間で再生回数にカウントされるのなら、聞かれている時間はもっと短いでしょう。そんな状態ですから、作りながら虚しくなることがあります。作っても誰も聴いてくれない、作る意味があるのか、なんて思うことがあります。そう思った時に、ふと本物のラジオパーソナリティのことを思い出しました。  YouTubeライブでスタジオの様子を配信している生放送のラジオ番組のチャット欄にお邪魔した時に、私の他には誰もいなくて、とりあえずラジオで聴いていることだけを伝えて去ろうとしたら引き留められたことがあります。その当時、その番...

地元が好きでも地元の全てが好きなわけじゃないよね

  今は高校野球の真っ盛りです。甲子園で都道府県の代表校が戦っています。小さい頃は地元千葉県の高校を応援していました。いつの間にかスター選手のいる高校を応援するようになったのですが、地元の高校を応援するのが普通なのでしょう。  千葉県出身のタレントや市原市出身のタレントもいて、活躍すると何となく嬉しいし、ついつい応援しちゃうのですが、応援したくないタレントがいても良いはずです。  先日、千葉県の国会議員が閣僚になったようです。NHKの取材に千葉県知事もお祝いのコメントを寄せたようです。たぶん6年前だと思いますが、市原市から当選した国会議員が閣僚になった時、いちはらFMのパーソナリティが「頑張ってほしい」的な祝福のメッセージをラジオで仰ってました。そのパーソナリティのことを、その国会議員と言うか、その政党とは考え方が異なっていると思っていたので、「あなたが祝福するの?」と思ったのですが、それが一般的なのでしょう。私は支持してない政党だったので祝福する気が起きませんでした。  どうして私たちは地元出身の人を応援したり、活躍すると喜ぶのでょうかね。その人の人柄は関係なく地元出身というだけで応援してしまう異常さに無自覚で良いんでしょうかね。  家族が頑張っていれば応援するのは普通でしょう。友達が頑張っていれば応援するのは普通でしょう。顔見知りの親しいことが頑張っていれば応援するのは普通でしょう。でも、家族でも友達でも顔見知りでもなく全くの他人でさえ、地元出身というだけで家族や友達や顔見知りであるかのように応援してしまう。海外で活躍したり評価されたりすると日本出身というだけで家族や友達や顔見知りであるかのように応援してしまう。それって、普通かもしれないけれど異常だと思うんです。  そもそも私は「愛国心」の強制が嫌いで、それは「お国のために」と自分を犠牲にして戦った戦時中を連想するからなんですが、同じように「愛郷心」の強制も嫌いなんです。地元のことは好きでも地元のことを好きになることを強制されるのは嫌なんです。だからか、愛国心や愛郷心が丸出しの人がちょっと苦手です。私自身も愛国心が丸出しになっていることは無いと思いますが愛郷心が丸出しになっているかもしれないと反省することはあります。  愛郷心が丸出しになっているわけではなくても、地元のことは何でも肯定しかねないような危...

重要な情報を伝えたければ相手の「聴く力」を求めるだけでなく伝える側も工夫しましょう

 インターネットにアップロードされていた記事を読んだら、最近の若い人は「聴く力」が衰えているらしいです。ある大学教授が授業でラジオドラマなど音だけを聴いてもらったら学生がどうしたら良いか分からなくなったようです。聴かせた理由を教授が話してくれなければ私もどうしたら良いか分からなくなると思いますが、教授の実感としては学生の「聴く力」が衰えていたのでしょう。元々は警視庁警備部災害対策課の方が小学生の娘にラジオを聴いてもらったら「何を言っているのか聴きとれない」と言われたことをツイートしたことで話題になったのですが、その娘さんの学年は分かりませんが、ラジオで話されていたことによっては昔の子も聴き取れなかったんじゃないかと思うんです。人の話を理解するためには、事前に知識が必要なことがあります。知識の少ない小学生が「何を言っているのか聴きとれない」と言ったのは当然のような気もするんです。  57歳の私もラジオで話されていることを聴き取れないことがあります。ラジオに集中して聴いていないと何が話されていたか覚えていないこともあります。それから、若い人に限らず、「この人は話を理解してないな」と思うことがあります。話されていたことを間違って解釈していると思うことが度々あります。また、年老いた両親と話していて思うのですが、どうやら、聞き逃した言葉を補って理解しているようなんです。どのように補っているかは、たぶん経験で「このような時にはこのような話をする」とか「話の流れからこうかもしれない」と適当に推測して補っているのだと思います。年寄りに限らず、人の「聴く力」なんて、そんなものなんだと思います。だから「若い人は『聴く力』が衰えている」という意見に「違うんじゃないかな?」と思ったんです。  ラジオを聴く時間を増やせば聴く力が強くなるのはそうかもしれません。そうだとしても、ラジオを聴いていた人は昔から少なかったんじゃないでしょうか。私が幼かった頃にはテレビがありました。受験勉強の時はラジオを聴いていましたが、ラジオよりもテレビで育ったような気がします。昔と比べてラジオを聴く人が少なくなったと言われてはいますが、私と同世代や私よりも若い人はテレビが中心だったと思いますから、「聴く力」が衰えているとしたら、最近の若い人に限らず、私と同世代から衰えていると考えるのが自然な気がします。  大人にな...

呪いの言葉「おまえじゃなくてもいい」

 作家になったが本が売れずに新しい小説を複数の出版社に売り込んだけれど相手にされず、ある編集長に目の前で原稿をごみ箱に捨てられてからは小説を書こうとしても書けなくなった若い女性が主人公のドラマが放送されていまして、小説が書けなくなったのは呪いのせいという設定でした。その呪いについて「自分で自分にかけていることもある」という指摘がありました。  ドラマを見ながら自分も自分に呪いをかけていることを思い出しました。呪いの言葉は「おまえじゃなくてもいい」です。そんなことを恋人に言う人もいるようなので、そんな人とはすぐに別れた方が良いのですが、言われた方は恋愛のたびに「私じゃなくてもいい」と自分に呪いをかけてしまう人もいるでしょう。私の場合は恋愛の話ではなくて、仕事など自分以外の誰かにために何かをするたびに自分自身に対して「おまえじゃなくてもいい」という呪いをかけて「私じゃなくてもいい」とモチベーションが下がったり憂鬱になったりしています。  私が大学に進学するときに工学部を選んだのは「機動戦士ガンダム」に登場する「ハロ」のようなロボットを作りたかったからで、自分以外の誰かのためではなく自分のためでした。自分が楽しむためであれば「私じゃなくてもいい」とはなりません。例えば歌を歌って楽しみたいのに歌を聞かされるだけでは十分に楽しめません。歌うのは「私じゃなければだめ」なのです。  大学4年の時に太陽電池の研究を始めて太陽光発電の勉強もしたのですが、その頃には少しは「自分以外の誰かのため」という思いが生まれていました。就職先も太陽光発電の研究をしたくて選んだのですが、配属されたのは別の部署で、太陽光発電の研究室には別の人が配属されました。その時に「おまえじゃなくてもいい」という呪いがかかりました。「私じゃなくてもいい」と思い知らされました。  職場では自分の研究以外に実験装置の管理など他の研究者のための雑用も任させていたというか、自主的に他の研究者のために引き受けていたのですが、退職を決めた頃から私がいないことで他の研究者が困らないように「私じゃなくてもいい」という状態にしようと徐々に他人に任せるようにしていきました。そして、私が退職しても問題が生じなかったようなので、その事実が私に「おまえじゃなくてもいい」と言っているようなものでした。  退職してからは心理カウンセリングや精神...

自分のためか? 自分以外の誰かのためか?

 私は自分以外の誰かのために生きたくて、自分のために生きるだけなら生きられなくてもいいと思っているのですが、自分以外の人が自分のために生きることについては、それでいいと思ってるんです。むしろ生き続けてほしいと思ってるんです。それならば自分自身にも生き続けてほしいと思えば良いのに、自分自身は例外にしちゃってるんですよね。だからと言って死んだりはしませんが…。  最初から自分以外の誰かのために生きたかったわけではなくて、若い頃は自分のために生きてきました。自分以外の誰かのために何もしなかったわけではないのですが、基本的には自分のやりたいことをやるために生きてきました。無事に研究職について好奇心を満足させながら働いていました。夢が完全に叶ったわけではないですが半分くらいは叶ったような気がします。退職後も3年くらい日本を放浪していて、それも学生時代に叶えたかった夢の一つで十分に満足できました。そうやって自分のために生きてきたんですよね。だから、もう自分のために生きなくてもいいんじゃないかなと思っていて、じゃあ何のために生きるかということで、自分以外の誰かのために生きることにしたんです。「自分以外の誰かのために」というのは働いている時も同じで「自分の仕事が社会の役に立つように」と思っていたんですが、役立ちそうになくて続ける気が失せちゃったんですよね。その時に別の「役に立つ仕事」をしようと思ったわけですが、残念ながら退職してからは3回くらい半年ずつくらいアルバイトしただけです。  自分のことはともかく、自分以外の人の様子を見ていると、自分の夢を叶えるために頑張っている人がたくさんいるような気がします。その夢が自分以外の誰かのためになる仕事の場合もありますが、たいていは自分のためなんですよね。なりたい自分になる。そんな感じで、どうしてなりたいのかがなかなか見えてこないんです。憧れの人がいて、その人のようになりたいという気持ちも分かるのですが、なって、同じことをして、その先が見えてこないんです。なれてない状態ではなった後のことは考えられないかもしれませんが…。それが悪いことだとは思わないし、自分も同じだったんですが、「それで良いのだろうか?」と疑問を感じることもあります。  自分のために生きることに疑問を感じるのは、自分以外の誰かのためになることをした方が良いと思ってるからなんです...

「働く」の定義を改めてみませんか?

 「働かざる者食うべからず」という慣用句を聞いたことがあると思います。働いてなかったりサボっている人に対して気軽に口にした人もいると思います。でも、人は食べないと死んじゃいますよね? それでいいんでしょうか?  働いてない人はたくさんいます。例えば小学生など児童。今の時代は児童労働を撲滅しようと頑張ってる人たちがいますが、彼らの運動は間違いで、本当は児童も働くべきなんでしょうか?  児童の他にも乳幼児、お年寄り、病気などで動けない人、働きたくても雇ってもらえない人など働いてない人はたくさんいます。彼らは食べてはいけないのでしょうか?彼らは死ぬべきなのでしょうか?  「働かざる者食うべからず」は「働けるのに働かざる者食うべからず」という意味だと狭く解釈して乳幼児や児童やお年寄りや病気などで働けない人や働きたくても雇ってもらえない人などを除外しようとする人もいます。それなら、働けるのに働いていない人は食べてはいけないのでしょうか? 彼らは死ぬべきなのでしょうか?それでいいんでしょうか?彼らが死んでも良いと思っている自分のことをどう思いますか?  ところで、働いていても、あるいは働いているように見えても、賃金を受け取ってない人たちもいます。ボランティアや専業主婦(主夫)などです。彼らは働いているのでしょうか? それとも働いてないのでしょうか? 彼らも「働いている」としたら、「働く」ってどういうことでしょうか? どんな条件を満たせば「働いている」と言えるのでしょうか?  ボランティアも専業主婦も、自分以外の誰かのために何かをしています。賃金を受け取って働いている人も自分以外の誰かのために何かをしています。対価を受け取るか受け取らないかの違いしかないように見えるのです。金銭以外の対価を受け取っていると反論する人もいるかもしれませんが、同じ仕事なら賃金を受け取って働いていたとしても金銭以外の対価を受け取っているはずです。もし、ボランティアや専業主婦のことを「働いている」とするのなら対価の有無は関係ありません。自分以外の誰かのために何かをしたら、それは「働いている」と言って良いのではないでしょうか?  「働く」を「自分以外の誰かのために何かをする」と定義するのなら、ボランティアや専業主婦以外にも働いている人はたくさんいます。自分以外の誰かのために何かをしようと意識して無賃金で実行...

WordPressを使って自分のサイトを作りました

  きっかけは「 おおさきエフエム放送 」のホームページを見たことでした。htmlソースを見てみると「 Cocoon 」というテーマを使っていました。検索をしてみると日本人が作ったテーマで、マニュアルが用意されていたので、テーマのインストールから試してみました。 ・ テーマ利用マニュアル | Cocoon  マニュアルに載っている必要な初期設定をしてからネット検索で見つけた情報も参考にして自分のサイトを作ってみました。  最初はエディタがビジュアルエディタからブロックエディタに変わっていることを知らなくて混乱しましたが、特にビジュアルエディタを使って作成したブロックがブロックエディタに戻すとエラーになるとかして混乱しましたが、やがて慣れてきて、やりたいことができるようになりました。私のサイトではカスタムブロックにhtmlソースを入れたり、追加CSSでスタイルシートを追加してみたりもしましたが、懸念していたショートコードを使う必要もなく、phpの知識が無くても大丈夫で、htmlやcssの知識が無くても大丈夫なことが分かりました。  ブロックエディタに変わったことで、 Googleサイト に似ているような気もしました。必要なブロックを追加していく感じです。ブロックの種類が多いことと、ブロックの名前が英語だったり説明が簡易的過ぎて、選択したいブロックを探すのに手間取ることがありますが、同じブロックを使うことが多いので慣れてくればすぐに見つかるようになります。  「 Cocoon 」というテーマは無料のテーマでは1~2位くらいに人気があるようなので、作りたいブロックの作り方をネットで検索すれば方法を書いてくれているブログがたくさん見つかります。情報がビジュアルエディタ時代のものだったり、ショートコードを使ったりカスタムブロックにhtmlソースを入れる方法を紹介している所もありますが、知識が無いと難易度が高いので真似しなくても良いと思います。でも、「 Cocoon 」を使うのであれば、以前のようにWordPressを否定しなくても良いと思いました。  一番気にしていた「表の作り方」に関しては、私が借りているサーバーのphpのバージョンが古くて試したいプラグインをインストールできず、 複雑な表を作れていない状況ですが、例えば、いろいろなラジオ局のサイトの番組表を見ると...

十分なお金があっても、人は誰も働きたいんじゃないかな?

 かなり前にインターネットの掲示板か質問箱かに「お前は金のために働いているのか?」と言われて傷ついたと書いていた人がいました。それに対して私は「今の私はお金のために働いています。お金のために働いても良いと思います。でも、お金だけのために働いていたら寂しいです」と書いたような気がします。  それは辞めた元の職場の上司に誘われて3年ぶりに元の職場で働いていた頃だったと思います。当時の私にとっては高収入な「年収500万」に魅かれて働いていました。本当にお金のためだったのです。仕事に対する情熱も辞める前よりも落ちていました。だから、あの頃の私も寂しい働き方をしていたような気がします。夢のためとか社会のためとか出世のためとか自分の好奇心を満たして楽しむためとか、何か目標があったら良かったのですが、当時の私の関心はそこでの仕事とは別の所にありました。  今の私が「お前は金のために働いているのか?」と言われて傷ついた人に答えるとしたら以前とは少し違います。「お金のために働いても良いと思います。生活するため、生きるため、お金を稼ぐ必要があるでしょうし、お金だけのために働くしかない人もいると思います。そんな彼らは『お前は金のために働いているのか?』と責められても『そうですが、何か問題でも?』という感じかもしれません」と答えそうです。昔の私は貧困問題に関心が無くて、夢のためとか社会のためとか出世のためとか自分が楽しむためとか、そんなことを考える余裕がない人たちがたくさんいることを知りませんでした。そんな人たちからしたら「お前は金のために働いているのか?」と言われて傷つくような人は幸せかもしれません。  もう一つ、昔の私とは違うことがあります。それは精神保健福祉士になるために障害者福祉の勉強をしたことです。障碍者に対する支援の一つに「就労支援」があります。障碍者に限らず失業中の人に対しても「就労支援」が行われるのですが、障碍者への就労支援は失業者への就労支援と目的が違う気がします。失業中の人は働いて生活費を稼がないと生活できないから就労支援が必要なのに対して、障碍者に対する「就労支援」には「社会参加」という目的があります。まるで働いていないと社会参加してないみたいで嫌な感じですが、働きたいのに働ける所が無くて働かせてもらえない障碍者たちが働けるように支援が必要なんです。そう書くと失業者へ...

役に立たない仕事を辞めて役に立つ仕事をするために故郷に帰ってきたけれど役に立つ仕事どころか何の仕事もしないまま四半世紀が過ぎました。

 「ひとりネズミ」はラジオネームで本名は隠しているわけですが、番組に送ったメッセージが読まれた時にラジオから本名が流れて私を知っている地元の人に聞かれたら恥ずかしいなと思ったからですし、さらにラジオのリスナーは本名ではなくラジオネームを使うのが普通のようでしたから私も「ひとりネズミ」を名乗る前からラジオネームでメッセージを送っていたわけです。素性と言うか私が何者かについても隠すほどではないのに隠していたかもしれません。それも、「ひとりネズミ」と本名が結びつくヒントになっちゃうからですが、自意識過剰と言うか、私に興味がある人はほとんどいないのだから隠す必要はないよなと思っている今日この頃です。  私のもう一つのTwitterアカウントのプロフィールには、この記事を書き始めた時には、次のように書いてありました。 無職。金がかかる外出を避けてネットとテレビ中心の生活。ペーパードライバー歴30年以上。ペーパーPSW歴約20年。科学技術系研究者⇒日本放浪のママチャリダー⇒科学技術系研究者⇒無職PSW。 空気が読めない男だと言われても長いものには巻かれない。基本的には「和を以て貴しとなす」の方針だけど、許せないことは許さない性格。  このプロフィールで私のことを知っている人は誰だか分かるでしょうし、私の元の職場の人も分かるかもしれません。「 科学技術系研究者 」と言うのは「 電子技術総合研究所」という国の研究所の研究者でしたということで、その研究所は私が退職した後の中央省庁再編で産業技術総合研究所という独立行政法人の一部になっちゃいましたが、そこで6年間働いた後にママチャリに乗って日本を放浪していました。放浪と言っても、旅の初期に出会った小さな子に「日本一周するの?」と尋ねられて、それも良いかもしれないと太平洋側を走って北海道まで行って、北海道も一周はしたけれど観光地として魅力的な所が多くて行ったり来たりの放浪をして、日本海側を下って九州、沖縄まで行って、本州の太平洋側を帰ってくる途中で四国に寄って、四国一周を終えた後に今治で車に跳ねられて自転車をスクラップにして少し入院して飛行機で市原市まで帰ってきました。市原市に帰ってきたら名前が変わっていた元の職場の上司に誘われて元の職場で契約社員の研究者として働きました。それが「 日本放浪のママチャリダー」の後の「 科学技術系研究者」で...

誰にも求められず何の役にも立たないことを続けてしまうことに疑問を感じながら生きている日々です。

 私の理性が語りかけてくる。 「何のために?」 分かっている。 褒められたいわけではないけれど誰も褒めてはくれない。 役に立ちたいけれど役に立っているわけでもない。 それでも始めてしまう。 それでも続けてしまう。 「時間の浪費では?」 そうかもしれない。 やらねばならないことが他にもあるのにできていない。 やりたいことが他にもあるのにできていない。 それでもやってしまう。 それでもやめられない。   何のためだろう? 誰のためだろう? 分かっているのに分からないふりをして今日も生きている。

このブログはほとんど読まれてませんでした。

「ひとりネズミの本音」をSSブログからBloggerに移しました。各記事の閲覧数を見るとほとんどの記事が大して読まれていないのですが、[新庄コミュニティーFM(仮称)「あすラジ」が開局するらしい]と[「きらら方式」の前にある壁]は他よりも読まれているようです。アクセスして「見た」だけで読んでないかもしれませんが…。たぶん「あすラジ」開局で気になった人がGoogle検索で私の記事を見つけたのでしょう。「きらら方式」も「あすラジ」関連でしょう。  それにしても閲覧数が少ないですね。そもそも話す相手がいなくて自分の中に淀んでいた思いやアイデアを吐き出していただけですから読まれなくても気にする必要はないのですが、読んだ人に伝わるように考えながら書いた文章なので、そんな自分の努力は必要なかったかな…とも思っています。  こちらに引っ越してきても閲覧数は増えないでしょうから、今後はもっと気楽に書こうかな…とも思っています。すぐに考えが変わりそうな気もしますが…。   タイトル 閲覧数 投稿日時 Googleサイトでラジオ局のサイトの雛形を作ってみた 3 2021/12/24 23:43 ホームページを作るならGoogleサイトを使えば簡単 50 2021/4/11 21:00 聴いている番組の選択は正しいのか? 68 2021/3/1 21:00 もっとサイレントなリスナーになります 78 2021/2/15 21:00 「きらら方式」の前にある壁 362 2021/1/22 21:00 新庄コミュニティーFM(仮称)「あすラジ」が開局するらしい 575 2021/1/11 21:00 伝えたいメッセージは?誰に向かって? 32 2021/1/6 21:00 お便り募集のメッセージフォームはGoogleフォームが便利 20 2021/1/5 21:00 夢を活かす 41 2021/1/4 21:00 このブログの今後について 30 2020/12/25 21:00 ラジオネーム「ひとりネズミ」 63 2020/12/24 21:00 ラジオ音声のサイマル配信について 16 2020/12/23 21:00 ラジオの映像配信について 11 2020/12/22 21:00 いちはらFM「元気なラジオ HyperWave」へメールし続.. 21 2020/12/21 21:...

Googleサイトでラジオ局のサイトの雛形を作ってみた

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 前回 「ホームページを作るならGoogleサイトを使えば簡単」 という記事を書いたのですが、Googleサイトで自分のサイトは作ってませんでした。今回、自分のサイトを作ってみて、流れでラジオ局のサイトの雛形も作ってみました。  ・ ひとりネズミ(Googleサイト)  ・ ラジオ局用ホームページの雛形  Googleサイトで自分のサイトを作ってみたら、公開するコンテンツがほとんど無いことに改めて気づかされました。だから作る気が起きなかったのですが、作ってみなければ勧めて良いのか判断できません。それでも前回の記事では勧めていたのですが、それは他のサービスよりも作りやすかったからです。  作ってみて感じたのは、デザインの柔軟性が低いことでした。  前回の記事を書いた後、他のレンタルサーバーを使ってhtml編集とcss編集とJavaScriptの利用でどこまでできるか試してみました。  ・ ひとりネズミ(XFREEのphpサーバー)  かなり満足できるサイトを作れたので、Googleサイトで自分のサイトを作る気が起こらなかったのは、それが原因でもあります。  しかし、最近になって私もスマホを利用するようになり、作ったサイトをスマホで見たい欲求が高まりました。以前からスマホに対応するように作っておいたのですが、見て悲しかったのはバナー広告の多さでした。スマホの画面が広告で埋まっているような印象でした。このブログもスマホで見たら広告だらけなので広告が無さそうなBloggerに引っ越したくなっています。ブログに関しては慣れているこちらの方が圧倒的に使いやすいのですが…。  広告の無い無料レンタルサーバーは無いものかとインターネットで検索して探したのですが、Googleサイト以外には見つかりませんでした。ただし、私も使っているXFREEのhtmlサーバーは3カ月以上放置しなければ広告は表示されません。  ・ 無料レンタルサーバー【XFREE(エックスフリー)】  ですから、html編集できる人に対してはXFREEのhtmlサーバーを勧めると思います。  しかし、html編集できない人には、ましてやcss編集とJavaScriptも使えない人に対しては、それらの知識を必要としないレンタルサーバーを勧めるしかありません。無料で広告が表示されな...