惰性で聞かれる番組でも良いのかもしれない

 3月になって、番組改編の時期らしく、私が聴いていたラジオ番組もいくつか終わってしまいます。面白くて人気があると思っていた番組も終わってしまいます。放送局はもっと面白い番組や役立つ番組にすれば良いと思っているのかもしれません。でも、終わってしまう番組よりも面白い番組が始まっても、役立つ番組が始まっても、これまでのリスナーは離れていくような気がします。元の番組のパーソナリティのファンは去るでしょうし、私のように惰性で聴いていたサイレントリスナーも番組が終わったのをきっかけに同じ時間の番組を聞くのをやめそうです。去ったリスナーよりも新しいリスナーの方が多ければ番組改編は成功でしょうが、期待しない方が良いかもしれません。そもそもラジオのリスナーが少ないのですから。

 番組改編をきっかけにラジオ番組を聴く理由について思うことがありました。聴く理由は人それぞれでしょう。パーソナリティが自分に向かって話しかけているような気がする人、他のリスナーが仲間のような気がする人、番組にメッセージを送って読まれることが嬉しい人、読まれなくても読まれるためにメッセージを送り続けることが楽しい人、番組のコーナーが面白くて聞いている人、パーソナリティのトークが面白くて聞いている人、パーソナリティの性格や声が魅力的だから聴いている人、パーソナリティがラジオ以外で活躍していてファンだから聴いている人、いろいろな人がいると思います。サイレントリスナーの私はパーソナリティのことが気になるから聴いているような気がします。ただし、パーソナリティのことが嫌いになると聴きませんが…。
 そんな私は「面白い」と思ってない番組でも聴いています。聴きながらパソコンでの作業ができるので時間の無駄だとは思いませんが、聴くことに何のメリットがなくても聴いています。だから、番組改編で番組が聴けなくなっても、何も困りません。でも、終わってしまうのが寂しい気持ちもあります。番組にメッセージを送ったことはないし、パーソナリティとの交流もないし、パーソナリティやリスナーと繋がっていたような意識もないのに寂しいのです。この寂しさについて考えていたら、もしかしたら、これがラジオ番組を聴き続けている理由なんじゃないかと思いました。

 以前、ラジオ番組のパーソナリティに番組を聴いている理由を尋ねられた時に「惰性」と答えました。そのパーソナリティはショックだったみたいですが、ポジティブに解釈していたと思います。でも、良い意味なんかない「惰性」だったんです。嘘を吐けなかったので、「あなた(パーソナリティ)に魅力があるから」とか「番組が面白いから」とは答えられませんでした。「聴き続けていたから聴き続けた」という理由だけだったんです。それでも、その番組が終わってしまうのは「寂しい」と思いました。
 いつも聴いていた番組が終わってしまう。それは、いつも傍にいた人がいなくなってしまったり、いつも見ていた風景が見られなくなったりするのと同じような寂しさを感じるのかもしれません。
 いつもあったものがいつものようにいつもの所にある。それは、とても重要なことなんだと思います。震災でいつもの風景が壊されたり、避難して環境が変わっていつもの交流ができなかったり、いつもの仕事ができなかったり、いつもと同じことができなくなるのは辛いことなんだと思います。そんな時、ラジオからいつもと同じ声が聞こえて癒やされた人もいると聞いたことがあります。震災関連の特別番組ではなく、いつもと同じような番組を聴いたことで癒やされたようです。それは、その番組が面白いからとか、パーソナリティのことが好きだからとか、そんな理由ではないですよね。

 私は、サイレンスリスナーが楽しめる番組がどのようなものなのか考え続けています。特に、タレントのような有名なパーソナリティがいないコミュニティFMで聴いてもらえる番組がどのようなものか考え続けています。放送エリア内の人が参加できたり、放送エリア内の人に役立つ情報が伝えられていたりしたら聴いてもらえるでしょうが、それらが必要ない私のようなサイレントリスナーに聴いてもらえるような番組がどのようなものか、放送エリアの広い民放やNHKではなく、コミュニティFMの番組を聴いてもらえるにはどうしたら良いかを考えています。
 今回、番組改編で番組が終わってしまうと聞いた時に感じた寂しさについて考えていたら、面白くなくても、役立つ情報が聞けなくても、とにかく聴いてもらって、惰性で聞き続けてもらえればいいんじゃないかと思いました。いつものようにいつもの番組が聞けるようにすることが大切なんじゃないかと思いました。ラジオ番組はテレビ番組よりも長く続いてる番組が多いような気がします。だからこそ、「いつも聞いているから」という理由で、惰性で聞かれている番組も多いのではないでしょうか。テレビの長寿番組も同じかもしれませんが、とにかく「惰性」で聞いてもらえるようなきっかけが必要なのかもしれません。そして、聴いた人が離れずに聴き続けてくれているようなら、長く続けることが必要なのかもしれません。面白くしようとか、役立つ情報を届けようとか力む必要はなく、いつものように同じパーソナリティがいつもと同じような番組を放送していれば良いのかもしれません。