地元が好きでも地元の全てが好きなわけじゃないよね
今は高校野球の真っ盛りです。甲子園で都道府県の代表校が戦っています。小さい頃は地元千葉県の高校を応援していました。いつの間にかスター選手のいる高校を応援するようになったのですが、地元の高校を応援するのが普通なのでしょう。
千葉県出身のタレントや市原市出身のタレントもいて、活躍すると何となく嬉しいし、ついつい応援しちゃうのですが、応援したくないタレントがいても良いはずです。
先日、千葉県の国会議員が閣僚になったようです。NHKの取材に千葉県知事もお祝いのコメントを寄せたようです。たぶん6年前だと思いますが、市原市から当選した国会議員が閣僚になった時、いちはらFMのパーソナリティが「頑張ってほしい」的な祝福のメッセージをラジオで仰ってました。そのパーソナリティのことを、その国会議員と言うか、その政党とは考え方が異なっていると思っていたので、「あなたが祝福するの?」と思ったのですが、それが一般的なのでしょう。私は支持してない政党だったので祝福する気が起きませんでした。
どうして私たちは地元出身の人を応援したり、活躍すると喜ぶのでょうかね。その人の人柄は関係なく地元出身というだけで応援してしまう異常さに無自覚で良いんでしょうかね。
家族が頑張っていれば応援するのは普通でしょう。友達が頑張っていれば応援するのは普通でしょう。顔見知りの親しいことが頑張っていれば応援するのは普通でしょう。でも、家族でも友達でも顔見知りでもなく全くの他人でさえ、地元出身というだけで家族や友達や顔見知りであるかのように応援してしまう。海外で活躍したり評価されたりすると日本出身というだけで家族や友達や顔見知りであるかのように応援してしまう。それって、普通かもしれないけれど異常だと思うんです。
そもそも私は「愛国心」の強制が嫌いで、それは「お国のために」と自分を犠牲にして戦った戦時中を連想するからなんですが、同じように「愛郷心」の強制も嫌いなんです。地元のことは好きでも地元のことを好きになることを強制されるのは嫌なんです。だからか、愛国心や愛郷心が丸出しの人がちょっと苦手です。私自身も愛国心が丸出しになっていることは無いと思いますが愛郷心が丸出しになっているかもしれないと反省することはあります。
愛郷心が丸出しになっているわけではなくても、地元のことは何でも肯定しかねないような危うさはあります。地元出身の国会議員が閣僚になったからと応援したりはしないのですが、地元の企業や団体のことは善し悪しを判断せずに応援しがちだなとは思います。地元のコミュニティFMであるいちはらFMに期待して聴き続けていたのが一例ですが、それと同時に地元市原市の企業や商店や団体などのツイッターアカウントをフォローして宣伝になりそうなツイートをリツイートしたりしています。最近、このツイートはリツイートしたくないなと思うことが増えてきました。私と考え方、基本的な価値観が違いすぎるんですよね。タイムラインに首を傾げたなくなるようなツイートが流れてくるたびに溜息をついて憂鬱な気分になっています。
ところで、私が市原市に拘るようになって理由を振り返ってみました。地元愛があるから戻ってきたわけではなく、失業したから戻ってきただけです。市外、県外で再就職すれば良かったのかもしれませんが、精神保健福祉士の資格を取得してからは市原市で働きたいと思っていました。資格取得の勉強をしている時に地域福祉の重要性を教えられたんです。精神疾患の医療が入院中心だったのを地域で暮らしながら通院して治療していくように転換していく過渡期だったと思います。精神保健福祉士の仕事も病院で精神科医の指示に従って仕事をするのではなく、地域で暮らす患者、精神障害者を支援する仕事が求められていたように思います。そんな地域福祉が重要だとして、私はどの地域で働くべきかを考えた時に、地元である市原市で働くべきだと思ったんです。それで市原市に拘ったんです。
ただ、市原市に就職先があるわけではなく、NPOを立ち上げたりするわけではなく、働かずに日々を過ごしていたのですが、精神保健福祉士らしいことはしたいと思っていました。私の目的は市原市を精神障害者が暮らしやすい地域にすることです。そのためには住民が精神障害者に優しくならないといけないだろうと思いました。優しくなるには金銭的、時間的、心理的な余裕がないといけません。そんな余裕が生まれるには市原市が元気になれば良いと思いました。それで市原市の活性化のために自分にできることをしようと思って、自分でもできることを考えました。残念ながら、ツイッターを使った市原市の企業や商店や団体の応援くらいしか思いつかなかったんです。市原市民に求められれば何かをしたかもしれませんが、求めらない状態でできることはツイッターだけでした。ツイッターで市原市のイベントである「いちはらアート×ミックス」の応援もしたことがありました。役立ったかどうかわかりませんし、役立ってない可能性もあります。いちはらFMに拘っていたのも同じ理由です。
そして昨今です。市原市に拘ることに疑問が生じてしました。市原市に住んでいる両親のために生きたいので市原市から離れる気はありません。でも、何となく空しくなってきたんです。家から出て、お金を使って住民と交流すれば自分でも役立つことがあるかもしれませんが、家から出ずに、地元で金を使わずに、ツイッターで応援リツイートをするだけで役立っている実感が得られず、時間を無駄に浪費しているだけに思えてきたんです。それでもしばらくは続けると思いますが、リツイートしたくないツイートが目立つようになって、やめたくなりました。私は市原市民の全員のことが好きなわけではないのに、市原市民だという理由だけで機械的に応援していたんです。応援しない方が良い場合もあるかもしれません。特に私の嫌いな考え方が広まる原因になるのなら応援したくありません。相手の考え方を変えられれば良いのですが、それは無理でしょう。嫌いな人を応援するのは是か非か。そんな感じです。
もっと柔軟に考えて、市原市の好きな人だけを応援すれば良いのかもしれません。でも、私は市原市の人をほとんど知らないんですよね。彼らのツイートを見るだけで人柄を判断している感じです。そんな状態では誤ることもあるでしょう。実際、人柄は良さそうなのにリツイートを見ると支持している考え方が異常だったり私の価値観と相反したりすることがあって溜息をついてます。
同じことを何度も書いているような気がしてきました。
要するに、私はがっかりしているのだと思います。希望している社会が遠くなった気がして失望しているのだと思います。それで疲れちゃったんだと思います。これからは期待値を下げて、冷めた目で市原市を、日本を、世の中を見ていきたいと思います。