聴いている番組の選択は正しいのか?
いちはらFMの番組を聴いていたのは地元市原市の放送局の番組だからでした。最近はSKYWAVE
FMの番組も聴いているのですが、それは千葉県の放送局でラジオで聴けるからです。でも、ラジオ音声が汚くてサイマル放送で聴くようになった今、他のコミュニティFMとの違いは何なのでしょうか。
千葉県のコミュニティFMではふくろうFMも聴いています。MUSIC BIRDの番組を聴くためにラジオ成田やかずさエフエムのサイマル放送を聴くこともあります。県外のコミュニティFMではエフエム世田谷や調布FMを聴くこともあります。インターネットラジオだったら超!A&G+やOTTAVAを聴くこともあります。実はNHK-FM、NHKラジオ第1、TBS、文化放送の番組もラジオではなく聴き逃し配信や追っかけ再生、タイムフリーでインターネットを利用して聴くことがあります。
日本にはたくさんのラジオ番組があるのに、それらの番組を聴いているのはどうしてなんでしょう。ラジオで聴くだけなら、受信できる限られた放送局の中から聴ける時刻に放送されている聴きたい番組を選ぶしかないでしょう。でも今は聴き逃し配信やタイムフリーで「聴ける時刻」という制限が無くなりました。さらに、サイマル放送で全国のコミュニティFMの番組を聴けるようになったので、番組の選択肢が格段に増えました。コミュニティFMのサイマル放送は聴き逃し配信やタイムフリー機能がありませんので、「聴ける時刻」という制限はありますが、放送局の数だけ選択肢があります。ラジオ好きの人たちはどのように選んでいるのでしょうか。
自分が聴いている番組は同じ時刻に放送されているたくさんの番組の中で一番面白い番組なのでしょうか。他の番組より聴く価値のある番組なのでしょうか。聞き逃し配信やタイムフリーでコミュニティFM以外の番組を聴いた方が良いのではないでしょうか。OTTAVAでクラシックを聴いていた方が良いのではないでしょうか。最近はそんな感じで自分の選択に疑問が生じました。
先日、日経トレンディで「好きなラジオ番組」のランキングが発表されました。1位から5位は「オードリーのオールナイトニッポン」「ナインティナインのオールナイトニッポン」「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」「バナナマンのバナナムーンGOLD」「伊集院光 深夜の馬鹿力」だそうです。私はどれも聴いていません。そして聴く気も起きません。たぶん上位にランキングされていると思いますが「福山雅治 福のラジオ」も「星野源のオールナイトニッポン」も聴いていません。面白い番組なんだと思います。それでも聴く気が起きないんです。「聴かなくてもいいかな」と思っちゃうんです。どうしてなんでしょう。
私はラジオに何を求めているのでしょう。パーソナリティとの交流や他のリスナーとの交流を求めていないわけではありませんが、「和を以て貴しと為す?」 (2020/11/13)で書いたようにサイレントリスナーでいたい私はそれらを避けています。面白い話を求めていないわけではありませんが、面白さの基準は人それぞれで、リスナーのほとんどの人が面白いと思っても不快な話なら笑えませんし聴きたくありません。自分の知らなかった話を求めていないわけではありませんが、知らなくても良い話を知ろうとする気は起きません。それに、間違ったことを言っていると思った時に一方的に聞かされるだけだともやもやしますし、間違いを指摘したくてもサイレントリスナーでいるなら指摘もできません。思い切って間違いを指摘しても「上からの目線」とか「批判された」とか思われるのも嫌です。いろいろなことに対する他の人の意見を求めていないわけではありませんが、やはり一方的に聞かされるだけだともやもやしますし、反論したくてもサイレントリスナーでいるなら反論できません。思い切って反論して雰囲気が悪くなるのも嫌です。それなら私はラジオに何を求めているのでしょう。どうしてラジオを聴いているのでしょう。
ここまで書いてきて、ふと思ったことがあります。私を動かしているのは好奇心であることを思い出しました。「知りたい」と思う気持ちが私を動かしています。私の知らなかったことを求めてもいないのに一方的に教えられることではなく、自分が「知りたい」と思ったことを知る機会を求めています。だから「好きなラジオ番組」のランキングが上位の番組を聴かないのでしょう。有名なパーソナリティだとインターネットなどに彼らの情報が溢れていて興味が湧きません。彼らが話すことも想像できてしまって興味が湧きません。想像してなかった話をしたらニュースになるので聴く必要もありません。彼らの番組の中に私が「知りたい」と思うようなことが含まれているとは思えません。だから聴かないのでしょう。
私が聴いているラジオ番組のパーソナリティの中には私が好きなタレントも含まれていますが、コミュニティFMのパーソナリティは私の知らなかった人たちばかりでテレビで見かけることはありません。それでも聴いているのは、初めて聴いた時に彼らに興味が湧いたからです。彼らのことを知りたいと思ったからです。彼らのキャラクターに興味が湧くこともあれば、彼らの仕事に興味が湧くこともあります。長く聴いてキャラクターが分かってくると今度は彼らの今後のことに興味が湧いてきます。変化しなさそうだと思うとパーソナリティのことを好きにならない限り飽きて聴かなくなることでしょう。
興味が湧くのはパーソナリティに対してだけではありません。世の中の出来事にも興味が湧きます。私が興味を持っている世の中の出来事に対する他の人の意見を聞きたいことがあります。誰の意見でも良いわけではなく、「この人の話なら頷ける」「この人の話を聴くと勉強になる」など自分の考えを整理できそうな意見、自分の成長に繋がる意見を聴きたいと思っています。ですから、そのような話をしてくれそうなパーソナリティの番組を選んでいます。
書きながら考えるのは良いことですね。書き始めた時とは違う結論になりました。聴いているラジオ番組が多くなって、番組の選択に迷いが生じていることを書くつもりでしたが、自分の選択の基準が見えたような気がします。聴いている番組よりも面白い番組、興味が湧く番組、勉強になる番組はたくさんあるかもしれません。でも、出会った番組のパーソナリティに興味が湧いたら、それで十分です。出会った番組のパーソナリティの話に満足できれば、それで十分です。ラジオ番組との付き合いは人との付き合いに似ているかもしれません。出会って興味が湧いたら付き合い始め、嫌いになるまで付き合い続ける。好きになれば会う機会を増やし、逆に会う機会が減って会いたい気持ちが湧かなくなれば疎遠になって二度と会えなくなることもある。誰と出会うかは偶然で、自分にとってベストな人と出会うとは限らないけれど、それを受け入れているように、偶然に出会ったラジオ番組が自分にとってベストな番組とは限らないけれど、それを受け入れる。そんな感じです。
さて、聴き始めたばかりなのに別れが近付いている番組があるようです。番組の終了は残念ですが時間に余裕が生まれそうです。今までは面白い番組を探すつもりでしたが、聴きたい番組との出会いが無ければそれでも良い。そんな自然体でラジオと付き合っていきたいと思います。
2021-03-01 21:00
千葉県のコミュニティFMではふくろうFMも聴いています。MUSIC BIRDの番組を聴くためにラジオ成田やかずさエフエムのサイマル放送を聴くこともあります。県外のコミュニティFMではエフエム世田谷や調布FMを聴くこともあります。インターネットラジオだったら超!A&G+やOTTAVAを聴くこともあります。実はNHK-FM、NHKラジオ第1、TBS、文化放送の番組もラジオではなく聴き逃し配信や追っかけ再生、タイムフリーでインターネットを利用して聴くことがあります。
日本にはたくさんのラジオ番組があるのに、それらの番組を聴いているのはどうしてなんでしょう。ラジオで聴くだけなら、受信できる限られた放送局の中から聴ける時刻に放送されている聴きたい番組を選ぶしかないでしょう。でも今は聴き逃し配信やタイムフリーで「聴ける時刻」という制限が無くなりました。さらに、サイマル放送で全国のコミュニティFMの番組を聴けるようになったので、番組の選択肢が格段に増えました。コミュニティFMのサイマル放送は聴き逃し配信やタイムフリー機能がありませんので、「聴ける時刻」という制限はありますが、放送局の数だけ選択肢があります。ラジオ好きの人たちはどのように選んでいるのでしょうか。
自分が聴いている番組は同じ時刻に放送されているたくさんの番組の中で一番面白い番組なのでしょうか。他の番組より聴く価値のある番組なのでしょうか。聞き逃し配信やタイムフリーでコミュニティFM以外の番組を聴いた方が良いのではないでしょうか。OTTAVAでクラシックを聴いていた方が良いのではないでしょうか。最近はそんな感じで自分の選択に疑問が生じました。
先日、日経トレンディで「好きなラジオ番組」のランキングが発表されました。1位から5位は「オードリーのオールナイトニッポン」「ナインティナインのオールナイトニッポン」「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」「バナナマンのバナナムーンGOLD」「伊集院光 深夜の馬鹿力」だそうです。私はどれも聴いていません。そして聴く気も起きません。たぶん上位にランキングされていると思いますが「福山雅治 福のラジオ」も「星野源のオールナイトニッポン」も聴いていません。面白い番組なんだと思います。それでも聴く気が起きないんです。「聴かなくてもいいかな」と思っちゃうんです。どうしてなんでしょう。
私はラジオに何を求めているのでしょう。パーソナリティとの交流や他のリスナーとの交流を求めていないわけではありませんが、「和を以て貴しと為す?」 (2020/11/13)で書いたようにサイレントリスナーでいたい私はそれらを避けています。面白い話を求めていないわけではありませんが、面白さの基準は人それぞれで、リスナーのほとんどの人が面白いと思っても不快な話なら笑えませんし聴きたくありません。自分の知らなかった話を求めていないわけではありませんが、知らなくても良い話を知ろうとする気は起きません。それに、間違ったことを言っていると思った時に一方的に聞かされるだけだともやもやしますし、間違いを指摘したくてもサイレントリスナーでいるなら指摘もできません。思い切って間違いを指摘しても「上からの目線」とか「批判された」とか思われるのも嫌です。いろいろなことに対する他の人の意見を求めていないわけではありませんが、やはり一方的に聞かされるだけだともやもやしますし、反論したくてもサイレントリスナーでいるなら反論できません。思い切って反論して雰囲気が悪くなるのも嫌です。それなら私はラジオに何を求めているのでしょう。どうしてラジオを聴いているのでしょう。
ここまで書いてきて、ふと思ったことがあります。私を動かしているのは好奇心であることを思い出しました。「知りたい」と思う気持ちが私を動かしています。私の知らなかったことを求めてもいないのに一方的に教えられることではなく、自分が「知りたい」と思ったことを知る機会を求めています。だから「好きなラジオ番組」のランキングが上位の番組を聴かないのでしょう。有名なパーソナリティだとインターネットなどに彼らの情報が溢れていて興味が湧きません。彼らが話すことも想像できてしまって興味が湧きません。想像してなかった話をしたらニュースになるので聴く必要もありません。彼らの番組の中に私が「知りたい」と思うようなことが含まれているとは思えません。だから聴かないのでしょう。
私が聴いているラジオ番組のパーソナリティの中には私が好きなタレントも含まれていますが、コミュニティFMのパーソナリティは私の知らなかった人たちばかりでテレビで見かけることはありません。それでも聴いているのは、初めて聴いた時に彼らに興味が湧いたからです。彼らのことを知りたいと思ったからです。彼らのキャラクターに興味が湧くこともあれば、彼らの仕事に興味が湧くこともあります。長く聴いてキャラクターが分かってくると今度は彼らの今後のことに興味が湧いてきます。変化しなさそうだと思うとパーソナリティのことを好きにならない限り飽きて聴かなくなることでしょう。
興味が湧くのはパーソナリティに対してだけではありません。世の中の出来事にも興味が湧きます。私が興味を持っている世の中の出来事に対する他の人の意見を聞きたいことがあります。誰の意見でも良いわけではなく、「この人の話なら頷ける」「この人の話を聴くと勉強になる」など自分の考えを整理できそうな意見、自分の成長に繋がる意見を聴きたいと思っています。ですから、そのような話をしてくれそうなパーソナリティの番組を選んでいます。
書きながら考えるのは良いことですね。書き始めた時とは違う結論になりました。聴いているラジオ番組が多くなって、番組の選択に迷いが生じていることを書くつもりでしたが、自分の選択の基準が見えたような気がします。聴いている番組よりも面白い番組、興味が湧く番組、勉強になる番組はたくさんあるかもしれません。でも、出会った番組のパーソナリティに興味が湧いたら、それで十分です。出会った番組のパーソナリティの話に満足できれば、それで十分です。ラジオ番組との付き合いは人との付き合いに似ているかもしれません。出会って興味が湧いたら付き合い始め、嫌いになるまで付き合い続ける。好きになれば会う機会を増やし、逆に会う機会が減って会いたい気持ちが湧かなくなれば疎遠になって二度と会えなくなることもある。誰と出会うかは偶然で、自分にとってベストな人と出会うとは限らないけれど、それを受け入れているように、偶然に出会ったラジオ番組が自分にとってベストな番組とは限らないけれど、それを受け入れる。そんな感じです。
さて、聴き始めたばかりなのに別れが近付いている番組があるようです。番組の終了は残念ですが時間に余裕が生まれそうです。今までは面白い番組を探すつもりでしたが、聴きたい番組との出会いが無ければそれでも良い。そんな自然体でラジオと付き合っていきたいと思います。