パーソナリティになりたくないアシスタントの気持ちを考えてみた
AはパーソナリティPのラジオ番組Rのアシスタントである。Aが出演できない日、RはPだけで放送された。Pが出演できない日、Rは休みで、Aだけで放送されることはなかった。RのリスナーLはAがパーソナリティになって放送すれば良いのにと思った。 この場合、Aの気持ちはどうなのだろうかと考えました。Pがいなくても、Lが思った通り、自分がパーソナリティとして放送したかったのか。それとも、自分はアシスタントとして仕事をしたいのか。 ラジオの業界では、数々の有名番組のアシスタントを務めて尊敬されている人がいるようです。その人はパーソナリティになりたいわけではなく、アシスタントとしての仕事に誇りを感じているのかもしれません。その気持ちは分かります。どの世界でもリーダーになりたいとは思わず、重要な仕事の役に立つことに喜びを感じる人がいて、そのような人たちのおかげで、数々の仕事が成り立っているのだと思います。 ただ、冒頭のAの気持ちには別の側面があるような気もするのです。 ラジオ番組は聴いてもらえなければ意味がありません。では、どのような番組だったら聴かれるのでしょうか。私が長年考え続けていることです。番組が面白いことが聴く条件ではあるのですが、面白いかどうかは人それぞれで、誰もが面白いと思える番組を作るのは難しいです。私の場合は、聴く番組はパーソナリティで選んでいます。パーソナリティが好きだから、パーソナリティに興味があるから、パーソナリティの話が自分にとってプラスになると思うから、そんな基準で聴く番組を選んでいます。ですから、自然に有名人がパーソナリティの番組ばかり聴いているような気がします。 それを踏まえてAの気持ちを想像してみます。パーソナリティとして実績があり有名なPがパーソナリティの番組なら聴いてもらえるけれど、実績が乏しく知名度も低いAがパーソナリティの番組は聴いてもらえるでしょうか。Aは聴いてもらえないと思うでしょう。冒頭の例はPが休みの日の話でしたが、RからPが降りてAがパーソナリティの番組になったら、Rはどうなるでしょう。おそらく、聴く人が減り、番組はすぐに終了するでしょう。Aは仕事を失うことになります。Pがパーソナリティの番組のアシスタントのままだったら、番組が終了せずに、仕事を失う恐れは減ります。そうであれば、Aはパーソナリティをやりたくない...