伝えたいメッセージは?誰に向かって?
昨年の12月にこんなツイートを見ました。
このツイートを見たのが2020年12月15日で、その一週間後の2020年12月22日にNHKの特別番組『2020挑戦 コロナ禍のRADIO 「大学生のリアルを届けて」』を見ました。
・NHKオンデマンド | 2020挑戦 コロナ禍のRADIO 「大学生のリアルを届けて」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020111245SA000/?spg=P202000226900000
・2020挑戦 コロナ禍のRADIO 2020/12/22(火)22:45 の放送内容 | TVでた蔵
https://datazoo.jp/tv/2020%E6%8C%91%E6%88%A6+%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E7%A6%8D%E3%81%AERADIO/1427686
アナウンサーを目指していた大学生がゼミの仲間と大学生の様々な声を伝える番組を校内ラジオで放送していたら地元FM局で放送されるようになったんだけど、コロナ禍で収録場所だった大学に入れなくなって自宅に機材を持ち込んで一人で放送するようになったそうです。残念ながら大学生の声を伝えるのではなく自分のことばかり話す放送になってしまいました。彼女は誰に向かって放送しているのか分からなくなり「やりたくてやっているけど、あまり意味のあるラジオじゃない。中身があまりないから」と自覚していたようです。一人で放送を始めてから5か月後の10月にラジオを監修するゼミの教授に呼ばれて「ラジオってやっぱり言葉と共感じゃないですか。あえて言うとすれば、つまり伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず。決して大きなメッセージを語る必要はない。ほんとにささやかな小さなメッセージでいいんだけれども」とアドバイスされます。
その後から彼女は大学1年生に取材するようになって大学生の声を伝えるようになります。取材した人に電話でラジオ出演もしてもらうようにもなります。就活生の声を伝える回もあったようです。そして11月末に大学生の貧困を研究する教授に話を聴いて想像を遙かに超えた現実を知ります。そんな貧困状態の大学生に話を聴くことになったのだけど恵まれている状態の自分の言葉が相手を傷つけるのではないかと躊躇します。悩んでいた時に母親に相談して絵本「ことばのかたち」を見せてもらうなどして「私が取材をして話を聴いて、そういう状況にいるんだって人がいるっていうことを伝えることで何かきっかけを作れるかもしれない」と貧困大学生にインタビューすることを決意します。
でもインタビュー後の編集中に番組の最後に伝える自分の言葉が見つからずに悩みます。「初めて怖いなって思った」って呟いたりもします。「うわべだけの言葉なら何でも喋れると思うけど…」と悩みます。そしてインタビューした大学生の「伝えてくれる人がいるだけで嬉しいし頑張ろうって思える」って言葉を思い出しながら番組の最後の言葉を決めます。その回の放送は「もちろん伝えるってことは大事だと思うんですけど、それを受け止める側の姿勢ももっと大事なんじゃないかなと思いました」「私自身もそうなんですけど、知ろうとする姿勢を大切にしていきたいなと思いました」と〆ます。
そんなドキュメンタリーでした。
番組の冒頭にダイジェストが流れるのですが、本編と順番が変わっていて、大学生に取材している映像の後にゼミの教授に「伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず」と言われた映像が流れました。それを見た時は「違う!」と思いました。前にもこのブログで書きましたが私は「傾聴パーソナリティでも良い」と思っていて、話すことよりも聴くことの方が大事だと思っています。ダイジェストではパーソナリティの彼女は大学生に話を聴いていました。それを批判する形の「伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず」に見えましたので「違う!彼女の方法は間違ってない」と思いました。でも本編を見たら教授のアドバイスは自分のことばかり話している放送を聴いてのことで、アドバイス後に彼女は大学生への取材を始めて「伝えたいメッセージ」は聴くことから生まれるという構成になっていましたから安心しました。
番組を見て一番心に残ったのも、その教授の「伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず」でした。冒頭に紹介したツイートの「芸人やアイドルが担当する華やかな深夜番組みないなもの」を私は聴いていないのですが、タレントの番組はそのタレントのことを知りたいファンのために自分のことを伝える必要があるのだと思います。でも、それを素人が真似してはダメでしょう。聴いている人たちは話しているパーソナリティには興味が無いでしょう。番組中で彼女が言っていたように「中身があまりない」意味がないラジオになってしまいます。最近ではYouTubeで自分のことを発信している人が多そうですが、同様でしょう。
もう一つ、自分のことばかり話すラジオを続けている彼女が悩んでいるシーンでは撮影スタッフが「誰に向かって?」と尋ねたのだと思いますが、それも大事だと思いました。校内ラジオであれば校内の大学生に向かって、地元FMであれば地元の住民に向かって話すことになります。話す内容も変わるでしょう。パーソナリティが伝えたいと思っていることがあっても、既に知っている人に伝えても意味がありませんし、無関係の人、興味の無い人に向かって話しても意味がないかもしれません。ただし、知っている必要があるのに知らない人、知っていてほしいのに知らない人に伝えることは大切です。知ろうとする姿勢が無い人にも伝えなければいけないことは伝え続ける必要があるでしょう。
さて、私自身のことを振り返ってみます。私はツイッターで呟き続けています。私は誰に向かってツイートしているのでしょう。フォロワーはいますが、私のことに興味がある人はほとんどいないと思います。ですから私自身のことをツイートしてもあまり意味がありません。実は原則として未来の自分に向かってツイートしています。要するに、後で確認できるようにするためのメモです。それならば自分のパソコンに記録するだけで十分なはずです。もう一つの目的が情報の共有、拡散です。@hitorinezumiの方はメモとしての役割が主ですが、@ishii00141の方は市原市の情報を市原市民と共有したいと思ってツイートを続けています。政治を含めて全国的な話題のツイート、リツイートもありますが「誰に向かって?」と尋ねられたら「市原市民に向かって」という答えになります。
それでは、このブログは誰に向かって書いているのでしょう。「伝えたいメッセージがない人はブログを書くべからず」なんて思ったりもします。伝えたいことがあるから書いているのですが、「誰に向かって?」と尋ねられたら明確には答えられないまま書いています。もしかしたら、ラジオで自分のことばかり話していた彼女と同じことをしているのかもしれません。私の考えに興味が無い人にはどうでも良い、意味のない、中身のないブログかもしれません。それでも伝えたいことがあったら書きたいと思います。
2021-01-06 21:00
『「ラジオが大好きで」と業界の門を叩いてくる若者のほとんどが、芸人やアイドルが担当する華やかな深夜番組みたいなものばかりイメージしてて』に「そうかもしれない」と思いました。制作会社の社長さんと「ラジオが大好きで」と業界の門を叩いてくる若者のほとんどが、芸人やアイドルが担当する華やかな深夜番組みないなものばかりイメージしてて、実際に地味な生活情報番組とか担当して思ってのと違うと辞めていく。でも多種多様な番組があるのがラジオなんだという話をした。
— 佐々木 智之(ごるっち)ラジオディレクター (@gorucchi3) December 15, 2020
このツイートを見たのが2020年12月15日で、その一週間後の2020年12月22日にNHKの特別番組『2020挑戦 コロナ禍のRADIO 「大学生のリアルを届けて」』を見ました。
・NHKオンデマンド | 2020挑戦 コロナ禍のRADIO 「大学生のリアルを届けて」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020111245SA000/?spg=P202000226900000
・2020挑戦 コロナ禍のRADIO 2020/12/22(火)22:45 の放送内容 | TVでた蔵
https://datazoo.jp/tv/2020%E6%8C%91%E6%88%A6+%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E7%A6%8D%E3%81%AERADIO/1427686
アナウンサーを目指していた大学生がゼミの仲間と大学生の様々な声を伝える番組を校内ラジオで放送していたら地元FM局で放送されるようになったんだけど、コロナ禍で収録場所だった大学に入れなくなって自宅に機材を持ち込んで一人で放送するようになったそうです。残念ながら大学生の声を伝えるのではなく自分のことばかり話す放送になってしまいました。彼女は誰に向かって放送しているのか分からなくなり「やりたくてやっているけど、あまり意味のあるラジオじゃない。中身があまりないから」と自覚していたようです。一人で放送を始めてから5か月後の10月にラジオを監修するゼミの教授に呼ばれて「ラジオってやっぱり言葉と共感じゃないですか。あえて言うとすれば、つまり伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず。決して大きなメッセージを語る必要はない。ほんとにささやかな小さなメッセージでいいんだけれども」とアドバイスされます。
その後から彼女は大学1年生に取材するようになって大学生の声を伝えるようになります。取材した人に電話でラジオ出演もしてもらうようにもなります。就活生の声を伝える回もあったようです。そして11月末に大学生の貧困を研究する教授に話を聴いて想像を遙かに超えた現実を知ります。そんな貧困状態の大学生に話を聴くことになったのだけど恵まれている状態の自分の言葉が相手を傷つけるのではないかと躊躇します。悩んでいた時に母親に相談して絵本「ことばのかたち」を見せてもらうなどして「私が取材をして話を聴いて、そういう状況にいるんだって人がいるっていうことを伝えることで何かきっかけを作れるかもしれない」と貧困大学生にインタビューすることを決意します。
でもインタビュー後の編集中に番組の最後に伝える自分の言葉が見つからずに悩みます。「初めて怖いなって思った」って呟いたりもします。「うわべだけの言葉なら何でも喋れると思うけど…」と悩みます。そしてインタビューした大学生の「伝えてくれる人がいるだけで嬉しいし頑張ろうって思える」って言葉を思い出しながら番組の最後の言葉を決めます。その回の放送は「もちろん伝えるってことは大事だと思うんですけど、それを受け止める側の姿勢ももっと大事なんじゃないかなと思いました」「私自身もそうなんですけど、知ろうとする姿勢を大切にしていきたいなと思いました」と〆ます。
そんなドキュメンタリーでした。
番組の冒頭にダイジェストが流れるのですが、本編と順番が変わっていて、大学生に取材している映像の後にゼミの教授に「伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず」と言われた映像が流れました。それを見た時は「違う!」と思いました。前にもこのブログで書きましたが私は「傾聴パーソナリティでも良い」と思っていて、話すことよりも聴くことの方が大事だと思っています。ダイジェストではパーソナリティの彼女は大学生に話を聴いていました。それを批判する形の「伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず」に見えましたので「違う!彼女の方法は間違ってない」と思いました。でも本編を見たら教授のアドバイスは自分のことばかり話している放送を聴いてのことで、アドバイス後に彼女は大学生への取材を始めて「伝えたいメッセージ」は聴くことから生まれるという構成になっていましたから安心しました。
番組を見て一番心に残ったのも、その教授の「伝えたいメッセージのない人はマイクの前に座るべからず」でした。冒頭に紹介したツイートの「芸人やアイドルが担当する華やかな深夜番組みないなもの」を私は聴いていないのですが、タレントの番組はそのタレントのことを知りたいファンのために自分のことを伝える必要があるのだと思います。でも、それを素人が真似してはダメでしょう。聴いている人たちは話しているパーソナリティには興味が無いでしょう。番組中で彼女が言っていたように「中身があまりない」意味がないラジオになってしまいます。最近ではYouTubeで自分のことを発信している人が多そうですが、同様でしょう。
もう一つ、自分のことばかり話すラジオを続けている彼女が悩んでいるシーンでは撮影スタッフが「誰に向かって?」と尋ねたのだと思いますが、それも大事だと思いました。校内ラジオであれば校内の大学生に向かって、地元FMであれば地元の住民に向かって話すことになります。話す内容も変わるでしょう。パーソナリティが伝えたいと思っていることがあっても、既に知っている人に伝えても意味がありませんし、無関係の人、興味の無い人に向かって話しても意味がないかもしれません。ただし、知っている必要があるのに知らない人、知っていてほしいのに知らない人に伝えることは大切です。知ろうとする姿勢が無い人にも伝えなければいけないことは伝え続ける必要があるでしょう。
さて、私自身のことを振り返ってみます。私はツイッターで呟き続けています。私は誰に向かってツイートしているのでしょう。フォロワーはいますが、私のことに興味がある人はほとんどいないと思います。ですから私自身のことをツイートしてもあまり意味がありません。実は原則として未来の自分に向かってツイートしています。要するに、後で確認できるようにするためのメモです。それならば自分のパソコンに記録するだけで十分なはずです。もう一つの目的が情報の共有、拡散です。@hitorinezumiの方はメモとしての役割が主ですが、@ishii00141の方は市原市の情報を市原市民と共有したいと思ってツイートを続けています。政治を含めて全国的な話題のツイート、リツイートもありますが「誰に向かって?」と尋ねられたら「市原市民に向かって」という答えになります。
それでは、このブログは誰に向かって書いているのでしょう。「伝えたいメッセージがない人はブログを書くべからず」なんて思ったりもします。伝えたいことがあるから書いているのですが、「誰に向かって?」と尋ねられたら明確には答えられないまま書いています。もしかしたら、ラジオで自分のことばかり話していた彼女と同じことをしているのかもしれません。私の考えに興味が無い人にはどうでも良い、意味のない、中身のないブログかもしれません。それでも伝えたいことがあったら書きたいと思います。