夢を活かす

 明けましておめでとうございます。
 昨年は原則として月曜日から金曜日に毎日新しい記事を公開していましたが、今年は気が向いたら記事を書いて公開したいと思います。今年もよろしくお願いします。

 ところで、初夢は見ましたか。初夢に見ると縁起が良いものとして「一富士二鷹三茄子」などと言われていますが、調べてみたら起源にはいろいろな説があるようで、自分とは関係ない人がたくさんいそうです。初夢に限らず夢を見たら解釈したくなるもので、インターネットで調べると情報がたくさんあります。それぞれに根拠があるのだと思いますが、私は夢の解釈は見た人の背景や環境によって異なるものだと思っています。

 実在するのに見たことがないものが夢に出てくることは稀で、たいていは見聞きしたものや体験、それぞれに対する思いが夢に反映されるのだと思っています。要するに感情を含めた記憶が夢に反映されるのだと思っています。例えば、富士山で遭難したことがあって怖い思いをしたり、鷹に襲われて怖い思いをしたり、ナスを食べてお腹を壊したことがあってナスが嫌いだったりしたら、富士も鷹も茄子も夢に出てきたからと言って縁起の良いものだとは思えないでしょう。夢を見たら一般的な解釈を参考にしつつも、夢を見てどう感じたか、夢の中のそれぞれのシーンに対してどう思ったかを大事にして、夢を解釈するよりも、夢を楽しんだり活かしたりした方が良いと思っています。

 河合隼雄さんの「明恵 夢を生きる」という本に、こんなことが書いてありました。講談社+α文庫の43ページからで、第一章の一部です。

 セノイ族は少なくとも数世紀にわたって、警察、監獄、精神病院の類を一切必要とせず、すべての成員が平和に暮らしてきた、きわめて珍しい部族である。この部族の生き方を長年にわたって丹念に調査した人類学者スチュアートは、その秘密が彼らの夢分析の能力あることをつきとめたのである。
 セノイ族は夢を非常に大切にする。朝食の時間に、年長者は幼少の者たちの語る昨夜の夢について耳を傾けて聴いてやる。そしてたとえば、小さい子が、どんどん下に落下してゆく夢を見て怖くて目が覚めてしまったなどと語ると、父親は「それは素晴らしい夢を見たものだ。ところで、おまえはどこへ向かって落ちていった? 途中でどんな景色を見た?」と聞く。子どもが怖くて何も見ない前に目が覚めてしまったと言うと、それは残念なことなので、次に機会があれば、もっとリラックスしてよく見てくるようにと励ますのである。
 そんなことをしても何もならないと思われるだろうが、実際に、その子は次に落下の夢を見たときは、睡眠中でも前に言われた父親の言葉ががどこかに残っていて、落下を恐れず、それをより十分に「体験」できるようになるのである。そして、その内容を報告すると、年長者はそれを詳しく聴いてくれ、次の体験へとつなぐような助言を与えてくれる。まさに、セノイ族の人たちは「夢を生きる」ことを文字どおり行なっている。
 夢に対するこのような態度は、自分の夢を傍観者として「見る」のではなく、それを主体的に「体験」し、進化して自らのものとするもの、ということができる。このような「体験」の蓄積によって、セノイ族の人々は精神の健康を保つことを可能にしたのである。
 これと同様のことは、ユング派の夢分析で行なわれ、筆者もはじめは分析家が「それは惜しいことをした。次はもっとよく見てくるように」などと言うと奇異な感じをもったのだが、だんだんとその要領が解ってくるし、体験的に学ぶことができたのである。
 ユングが報告したという夢分析の例に次ようなものがある。戦争神経症の人が「一軒家の中で、夜に窓を一つしめ忘れているのに気づき、どこかしらんと探しているうち、最後の一つを開けると大爆発が起こり、恐ろしさで目を覚ました」という悪夢を繰り返し見て困ると訴える。これに対してユングは、大爆発が起こったときにそれほど怖がらず何が起こっているのかをよく観察するように、と助言する。
 次に同じ夢が繰り返して生じたとき、その人はユングの言葉を思いだし、よく観察しようとすると、爆発が起こらずライオンが吼えているところになり、恐ろしくて目を覚ました。これに対してユングはさらに、そのライオンをよく見るようにと助言する。ところが、次にはライオンではなく恐ろしい人間が侵入してくるところに変わり、次にその人間と対決しようと待ったが、それ以後は悪夢が生じず、戦争神経症による不安も収まったという。
 この例においても、一般に考えるような「解釈」が行なわれるのではなく、分析家は夢を見る人が夢内容に対して避けることなく直面してゆくことを援助し、それを通じて問題の解決が行なわれているのである。

 いかがでしたでしょうか。
 セノイ族では眠っているのに夢を意識的に体験しようとし、ユングも患者に夢を意識的に体験することを促しています。実は私も夢日記をつけて、同じように夢を意識的に体験しようとしていた時期があります。同じ夢を繰り返し見ることは無かったのですが、似た夢を見たときに、前の夢の分析と、その時の決意が影響していたように思います。そんなことを繰り返している内に、モヤモヤしていた気分も晴れました。
 ただし、夢日記をつけていたら現実と夢の区別ができなくなった人もいるようで、無意識に夢を「体験」しちゃっていたのだと思いますが、気をつけなければいけないようです。

 眠っている間に見た夢をインターネットなどで調べて解釈している人も、解釈した後は自分のことを振り返って次の行動に活かしているのかもしれませんが、一般的な解釈に囚われず、セノイ族やユングの夢分析のように夢を活かしてみるのはどうでしょうか。自分が抱えている問題に気付き、その問題を解決する力が得られるかもしれません。


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