「傾聴パーソナリティ」でもいいんじゃない?

 先月、あるラジオパーソナリティのYouTubeを見ていたら「ラジオパーソナリティは強みが大事」という話題になっていました。ラジオパーソナリティになりたければ「何をしゃべりたいか」「自分の好きなことは」「得意分野は」などと考えて一番話したいことを磨くこと、極めることが大事という話になりました。

 確かにラジオパーソナリティがマイクの前で無言だと放送事故になってしまうので何かを話す必要があります。何か得意な分野、そのことについてなら詳細に話せるという何かがあった方が良いでしょう。有名で人気のあるパーソナリティはラジオで話せるように情報を集めているようです。だから「話せるパーソナリティ」になるためには得意なことがあった方が良いし、話す内容が尽きないように情報収集が必要でしょう。

 でも、私のラジオパーソナリティ像はちょっと違います。
 私は十代の頃に「中島みゆきのオールナイトニッポン」を好きで聴いていたのですが、中島みゆきさんが自分の知識を披露している番組ではなかったと思います。いろいろなコーナーがあって、そのコーナーに届くお便りを読んでゲラゲラと笑う。私を含めてリスナーも一緒にゲラゲラと笑う。そんな番組だったように思います。番組に届くお便りは笑えるものばかりではありませんでした。深刻なお便りも届いていました。深刻な話に限らなかったと思いますが、リスナーの思いが綴られたお便りを番組の最後に読んで中島みゆきさんの曲で終わるという構成になっていました。番組の中間でも同じような構成になっていることがあったような気もします。そんな中島みゆきさんの姿は「リスナーの言葉に耳を傾けるパーソナリティ」でした。私はそんな中島みゆきさんのラジオを聴いて彼女のことが好きになりました。そして、番組を聴き逃したくないと思うくらいになりました。

 そんなラジオパーソナリティ像の違いを意識していた頃、たまたまNHKの「みんなでひきこもりラジオ」の聴き逃し配信を聴く機会がありました。

・みんなでひきこもりラジオ - NHK
 https://www4.nhk.or.jp/hikikomoradio/

 生放送中は聴けなかったのですが、聴き逃し配信を聴いて「傾聴パーソナリティだ」と思いました。自分の知識を披露する「話せるパーソナリティ」ではなくリスナーの言葉に耳を傾ける「傾聴パーソナリティ」でした。
 もちろん、番組中にリスナーの言葉を聴いているだけではなく、パーソナリティの栗原望アナウンサーが「ひきこもり」関連の取材で見聞きしたことをリスナーに伝える時もありました。でも、自分の意見を押し付けるものではなく、もしかしたらリスナーの役に立つかもしれない情報として伝えていました。

 さらに、毎週録画して見ているNHKの「明日へ−つなげよう−」という番組の11/29の放送がコミュニティFMのラジオパーソナリティの特集でした。

・証言記録 東日本大震災 (96)▽苦しみの中に光を求めて〜ラジオに託す人びとの思い〜
 https://www.nhk.jp/p/ts/14G1KY68L5/episode/te/QJNQ8JQRQN/
・明日へ−つなげよう− 2020/11/29(日)10:05 の放送内容 ページ1 | TVでた蔵
 https://datazoo.jp/tv/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%B8%E2%88%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%92%E3%82%88%E3%81%86%E2%88%92/1420952

 「TVでた蔵」は粗筋を載せてくれているので、オープニング部分を引用させていただきます。

生放送の準備に追われるアナウンサー。福島では誰もが知っているラジオ局の名物アナウンサー大和田新さん。定年退職した今も週に一度、20年続く番組を放送している。東日本大震災の日を境に大和田さんのアナウンサー人生は大きく変わった。生放送で懸命に呼びかける大和田さんの元にリスナーから次々と声が寄せられた。励ましの声を送る大和田さんに、20日後リスナーからあるFAXが届く。何を頑張ればいいのか、手元に届く原稿だけで何が分かるのか。地元メディアとしての真価を問われていると痛感したという。大和田さんは一度、被災地へ通うことを決意、そこで目にしたのはあまりにも過酷な光景だった。”被災者の言葉をそのまま届けるしかない”。大和田さんは津波で流された家族を探す男性と出会った。話は聞けなくても、足を運び続けた。男性が胸の内を語ってくれたのは半年後のことだった。突然家族を失った人の悲しみと苦しみを伝えることの難しさを改めて痛感させられた。地元のラジオ局だからこそ目をそむけてはならない現実、悩み苦しみながら9年半伝えてきたアナウンサーの記録。

 自然災害が起こった時、ラジオパーソナリティが電波に乗せてリスナーに励ましの言葉をかける。それはよくある光景でしょう。でも、それはラジオパーソナリティの思いを一方的に伝えているだけです。リスナーからのお便りで自分の間違いに気づいた大和田新さんは「被災者の言葉をそのまま届けるしかない」と決意しました。
 これは自然災害の時に限らないと思います。特にコミュニティFMの番組は地域住民の言葉をリスナー=他の地域住民に届ける役割が求められているのではないでしょうか。住民の言葉に耳を傾けて、聴いたことを自分の考えで歪めずにラジオでリスナーに伝える。そんなパーソナリティが求められているのではないでしょうか。

 各コーナーでリスナーから届いたお便りに上手に反応できるようになるには知識が必要かもしれません。リスナーや地域住民の言葉に耳を傾けてラジオで伝える場合も、聴いたことを理解するための知識が必要かもしれません。でも、その知識は話のネタではありません。「話せるパーソナリティ」になるための知識ではありません。「傾聴パーソナリティ」になるための知識です。

 パーソナリティが面白い話をしてくれるラジオは私も好きです。でも、面白いかどうかはリスナーの好みの問題です。全てのリスナーが楽しめる話なんてあるのでしょうか。人の好みは様々です。価値観も多様化してきました。それでも、できるだけ多くの人に楽しんでもらおうとすると大衆受けする話しかできなくなりそうです。
 自分の得意分野の話を延々とする。その分野が好きな人がリスナーになってくれる。リスナーは限られてしまいますが、そんな番組があっても良いと思います。話したいことがあってラジオパーソナリティになる人もたくさんいることでしょう。
 でも、面白い話ができなくても、延々と話せるような得意分野が無くてもいいじゃないですか。リスナーの言葉に耳を傾ける「傾聴パーソナリティ」でもいいんじゃないですか。私はそんな「傾聴パーソナリティ」を求めています。